HIROSHIMA ELECTRIC RAILWAY

集められた
電車たち

広島の街には、二十五種類の路面電車が走っている。その多くは、この街で生まれたものではない。

なぜ、これほど多くの
形式が走っているのか

25形式広島電鉄は「動く電車の博物館」と呼ばれます。一つの事業者が、これほど多様な車両を同時に走らせている例は他にありません。

製造年は一九二五年から現在まで、およそ百年にわたります。製造所も塗装も、揃っていません。

捨てられた街から、
買い集めた

戦後、全国の都市が路面電車を廃止していきました。自動車の時代が来て、線路は道路の邪魔になったからです。京都、大阪、神戸、福岡。次々と姿を消しました。

広島電鉄は、その車両を買いました。経営が苦しく、新車を作る余裕がなかったからです。廃止された街の電車を引き取り、修理して、走らせ続けた。

塗装は、元のままにしました。

この街に電車が来る道は、三つしかありません。ここで生まれるか、廃止された街から買われるか、贈られてくるか。以下は、その三つの経路それぞれの記録です。

01 / 03

650形

被爆電車

広島うまれ1942

650形の側面図
製造年1942
全長12,380 mm
自重16.2 t
定員80人(座席32
車体製造所木南車両

この形式だけは、よそから来ていません。広島で生まれ、広島で被爆し、広島を走り続けています。

被爆後、悲しみにくれる街を走り、市民を勇気づけた。復興のシンボルと呼ばれる所以です。当初五両が製造されました。

現在は651号と652号の二両が、主に朝のラッシュ時に運行。653号は当時の塗装に復刻され、夏期のイベント電車として貸切運行されています。

02 / 03

900形

元・大阪市電

大阪から1969

900形の側面図
製造年1957
全長12,480 mm
自重16.5 t
定員80人(座席36
車体製造所大阪車両工業

ベージュとエビ茶のツートン。大阪市電の塗装が、そのまま広島の街を走っています。頑丈なバンパーが特徴です。

一九七〇年代、広島を訪れた元大阪市電の運転士が、自分の運転していた電車が現役で走っているのを見て涙したと伝えられています。

広電初のワンマン車として、白島線を試験的に走りました。

03 / 03

200形

ハノーバー電車

ハノーバーから1989

200形の側面図
製造年1928
全長11,100 mm
自重10.1 t
定員46人(座席24
車体製造所デュワグ(西ドイツ)

三両の中で唯一、買われたのでも生まれたのでもなく、贈られてきた車両です。

一九八八年、姉妹都市提携五周年を記念して、広島市がハノーバー市へ組み立て式の茶室を贈りました。その返礼として翌年、この電車が届きました。茶室と電車の交換です。

毎年十二月には、イルミネーションを施したクリスマス電車として運行されています。

三両を、同じ縮尺で

紙で組んだ三両を、同じ高さから撮り、全長を実寸の比で並べました。この三両が一度に揃うことは、実際にはありません。

650形12,380 mm
16.2 t
900形12,480 mm
16.5 t
200形11,100 mm
10.1 t

長さの差はわずかです。しかしハノーバーから来た一両だけが、他の二両の三分の二ほどの重さしかありません。